うちの娘おかめ納豆に似てる。

アラサー主婦による育児記録や結婚生活やなんでもないこと、購入おもちゃや趣味などを書き綴るブログ。

毒家族ファイル①「お前の為に」が口癖。子供のマインドコントロールをする祖母

父の最初の離婚後、父方の祖父母と暮らすことになり、実質私達の母親代わりだった祖母。

 
私3歳、次女2歳、3女1歳の時に引き取られ、
それから私が高校を卒業するまで一緒に暮らしていたが、冷静に考えられるようになった今振り返ると毒家族のなかで最もヤバいタイプであった。
 

①愛は無償ではなく、条件付き

事あるごとに「お前たちには親が居ないんだから」という枕詞を使用して躾けを行った
子供らしい振る舞いやワガママは「親が居ないからだらしないと思われる」と理由で抑圧され、感情を表すことができなくなってしまった。
同様の理由で甘えることやスキンシップを取ることも許されず。
よその人からは「聞き分けがよく礼儀正しい子供」と評価され、祖母にもそう振舞うことを期待されていたが、当時の私は「親が居ない私は祖母の期待に添えなければ他に行く場所がない」のだといつも緊張していた。
 
自分の思い通りにいかないと孫達を無視
小学生の夏休み。その頃祖母は仕事に出るようになっていた。
祖父もパチンコ屋にいき不在だったため、3姉妹でリラックスして過ごしていたある日のこと。
仕事から帰ってきた祖母は家を見るなりブスッと不機嫌になり、その日1日孫たちと口をきかなかった。
理由は察しがついた。子供たちが1日中遊んでいたのが気に食わなかったのだ。
祖母からは特にお手伝いをしろと言われたことは一度もなかったが、明らかに態度でそれを望んでいることがわかった。
 
翌日から私は3姉妹の家事分担表を作り、祖母が帰ってくる前までにみんなで家事をすることを提案した。
案の定帰宅後の祖母は上機嫌。
 
大人の顔色ばかり伺い、自分の行動は祖母にとってどう映るかを気にして生活していた。
 
祖母からみていい子でなければ、私達は他に行く場所がなかったのである。
 

②感情の強制

・定期的に「お母さんに会いたいと思うか」と聞いて子供を試す
こちらから母の話をしたわけでもないのに、突然母親の話題を切り出してくる。
幼い頃に離婚したので、母の記憶など曖昧で別に思い入れもないが、なんとなく母親という存在が特別なような気がして、一度だけ「会ってみたい」と答えたことがあった。
すると祖母の表情は一変し、いかに母が最低な人間であったかを力説され、お前たちを捨てた人間になぜ会いたいと思うのかを当時幼稚園年長の私に小一時間詰問した。
それからは母に会いたいか聞かれても「ばあちゃんたちがいるから会いたいとも思わない」と、祖母にとって一番満足度が高いと思われる返答をするようになった。
 
なぜなら「もうその話やめよう」とかグレーゾーンの回答をすると「これだけばあちゃんはお前たちの為に頑張っているのに、それでも母親に会いたい気持ちがあるのか?!」
とわけのわからない方向に話が進んでしまうからである。
満足そうに「そうだよな。お前たちにはばあちゃんがいるもんな」と答える祖母を見るたび、子供ながらに自分自身の感情が死んでいくのがわかった。
ちなみに月一ペースで聞かれるが、これは私が中学生になるまで続いた。
 

・祖母と違う考えを述べると人格を否定されたり、私の方が間違っていると罵られた

感情を表に出すことは許されず、家でも外でもリラックスすることができなかった。

また、自分の考えや行動に一切の自信が持てなくなっていたため、何か問題が起こると全て自分に原因があり悪いのだと思い詰めるようになっていた。そのため小学校に上がる頃には生きることが辛くなり、毎晩寝る前に神様に「明日目覚めませんように」とお願いする子供になっていた。

だが、しかし朝は来る。
 

共依存関係を築こうとする

やたら私との間に秘密や共通項を作りたがる
自分の生い立ちがいかに不幸かということや家庭の相談ごとを持ちかけ私をカウンセラーとして扱い、二人の間で話したことは他の家族や外で口外することを禁じられた。
また、祖母は自分と私がいかに似た境遇や性格であるかを説き、私を自分の分身のように扱おうとした。
 
付き合っている友達の品定めをし、気に入らない子とは付き合いを辞めるよう促した
私が友達と過ごす世界が増えてくると、
「あんな友達はお前とは世界が違うからあまり付き合うな」「あんな男と付き合ったら苦労する」と、交友関係を自分の監視下で行うよう口出しした。
なぜそんな口出しをするかと責めると「お前の為を思って言ってる」の一点張りで、最終的に私が生まれた時の話や幼い頃の苦労を引っ張り出し、情に訴える手段にでる。
 

④第二次性徴の否定

男女交際は絶対悪
男や性は悪であり、汚いと叩き込まれた
中学生のとき何気なく「○○君に告白された」と祖母に打ち明けたら、翌日その子の家まで行き「うちの子にちょっかいを出すな」と抗議にいった。
 
女性らしいデザインの下着や服を買うと罵られた
レースの下着を買うと「誰に見せるつもりでもないのにそんなものを買うのはおかしい。下品だ」と疑われ、身体のラインに沿うぴったりとしたニットワンピースを着た時は「商売女みたいだ。誘っていると勘違いされてチカンにあっても文句は言えない」と言われ、子供の時と同じような服を着ることを求められた。
いちいち何か言われるのが面倒なので、それからはなるべく地味な服を選ぶようになった。
 
あと、ファーストブラもなかなか買ってもらえなかった。
私はすれて痛いし部活で汗を掻くと透けるからと必死に訴え、中学校一年生の夏に辛うじてスポーツブラを買ってもらえたが、文科系部活だった次女に至っては買ってもらえたのが中学校の修学旅行の時だ。
 

⑤とにかく鬼電

・門限2時間前から帰れコールの嵐
一番ひどかったのは高校一年生の時。
文化祭の打ち上げでカラオケに行くことになり、家にはカラオケボックスの場所(自宅から自転車で10分の距離)と門限の9時までには帰る旨の連絡を入れた。
後片付けなどが終わり、みんなでカラオケボックスに入ったのは7時頃。一度自宅から着信があったが、伝えるべきことは伝えてあるので無視。
すると30分後、私の歌う順番になって再び家から着信が。
しばらく無視していたが、一向に鳴り止む気配がない。
そして8時になる頃には自宅から20件の着信履歴と5件の留守番電話。
留守番電話には全て祖母の声で「今どこだ」「遅くならないうちに帰れ」「門限すぎたら鍵を締める」などの内容が吹き込まれていた。
友達にも心配され、楽しむ気分には到底なれず帰宅。
8:15分には自宅に到着していた。
一応門限は9時と定まっているが、7時を過ぎると嵐のように携帯が鳴り出すためもちろんそんな時間まで遊べたためしはない。
 
・私に繋がらないと仕事中の夫にまで電話
幸い社会人になってから祖母と別居する機会ができ、私は少しずつ祖母の異常さに気づき距離を置くようになっていた。
そして彼ができ、同棲を経て結婚。
祖母とは盆正月とたまの電話をする仲にまでうまく距離を取れていた。
 
しかし1年後妊娠が発覚し、妊娠報告をした日を境にまた祖母の鬼電攻撃が始まったのだ。
 
最初は私の体調やお腹の子を心配する内容だったのが、徐々に祖父の愚痴や過去の苦労話にとり代わり、それが毎日1時間のルーティーンになっていた。気がつくと私はまたカウンセラーに逆戻りしていたのだ。
最終的に「実際授かってみると子供ってお腹にいる頃から可愛いだろ?産まれたらもっと可愛くなる。だからお前たちを捨てた母親は本当に最低だったって今はわかるだろ?」と言い出すようになった。
 
ああ、もうこの人と付き合っていたら駄目だ。
 
そう思った私は祖母からの電話に出なくなった。
毎日携帯は鳴りっぱなし。午前と午後に一軒ずつの留守番電話が入る日々が続き、履歴を見るだけで辟易した私は携帯の電源を切った。
 
すると今度は夫の方に電話。仕事中だろうが御構い無しで留守番電話に私がどうしているか心配だから電話に出て欲しいとメッセージを残すようになった。
 
ここでさすがにブチ切れて、何かあればこちらから電話するからそれまでかけてくるなということと、仕事中の夫に迷惑かけるなということを電話口で伝えた。
今までにない程強い勢いだったので祖母もたじろぎ出産まで電話してこなくなった。
ただ、この時も「お前が何かあったらと思うと心配で・・・」と言い訳していた。
 

毒親は変わらない

産後、祖母とはどうなったかというと私が意図的に距離を置くことで毒を浴びずにすんでいる。
  • こちらからは一切連絡をしない
  • 正月以外こちらからは帰らない
というのを徹底している。
 
しかし、祖母は隙あらば入り込んでこようとするので引き続き注意が必要である。
 
未だに電話も週に1度かかってくるが、油断するとそれが週に3日、2日に1度、毎日とどんどん増えていくので時々突き放さねば精神が持たない。
内容は娘がどうだとか、今妊娠中なので体調はどうだとかそんなところから入るが、ズルズル付き合うととんでもない話に持って行かれてしまうので、愚痴には付き合わない姿勢で愚痴が始まったら切り上げるようにしている。
 
しかし、私に新しい家族が出来て自分の存在が薄くなっていくことを悟ったのか今度は私の不安を煽るようなことを言うようになった。
 
言葉が出るのが遅い娘に対し
「近所の○○さんところの孫娘がお前の娘と同じくらいでよく話す。娘がまだ話さないのはおかしいんじゃないか」とプレッシャーを与えたり
 
義両親の近所に住む義兄の子供(娘のいとこ)と比べて
「ただでさえたまにしか会わないんだから早く義両親をじじばばと呼ぶように躾けておかないとお前の娘は同じように可愛がってもらえないぞ」
とよくわからないアドバイスをするようになった。
 
祖母としては冷たくあたる私にこれでダメージを与えたつもりなのだろうが、
私はもう以前のように毒親の言葉で一喜一憂する子供ではない。

「は?何言ってるの?」と強気で返すとやっぱり「いや、まさかとは思うけど心配で・・・」といつもの枕詞で言い訳を始めるのだ。

「お前の為」は自分のため

結局祖母が言う「お前の為」が本当に私のためであったことは一度も無い。
 
自分が私達をコントロールするときに反感を浴びないため、また気付かれないために
「お前のため」という言葉を用いて自分の言動行動を正当化しようとしているだけなのだ。
 
結局祖母は本当に私達が可愛いのではなく、可哀想な孫たちを引き取って苦労する自分が好きなのである。
そしてそんな自分を褒めてもらいたくて、愛して欲しくてたまらないのだ。
 
過度な干渉やマインドコントロールも誰かに
「しっかりしたお孫さんに育てましたね」と言われたいが為の行為であって、本当に子供のことを考えていた訳ではない。
 

祖母もアダルトチルドレン

祖母自身貧しい家の長女に生まれ、幼い頃から家族のために学校も行かず働いていたという背景があり、彼女もアダルトチルドレンなのである。
甘えることを知らず、家族のために働かなければ存在意義が感じられなかった祖母はインナーチャイルドを抱えたまま大人になり、自覚することもできなかった為毒親になったのだろうと思う。
 
しかし彼女はもう変われないし、変わる気もない。
 
何より私は自分の家族が第一なのでそこを侵食してこようとする者には毅然とした態度で立ち向かわねばならない。
 
それが育ての親だろうと何だろうと。